家族体験記 ③
K.M
『断酒会に参加するようになって』
会員

 私は夫が「酒好き」とは知っていましたが、「アルコール依存症」になるまでとは、結婚して40年以上も気がつきませんでした。私の実家が造り酒屋で、「酒を飲むのは当たり前」という気持ちもありました。しかし夫は、ただの酒飲みではなく、いくらとめようとしても絶対酒をやめないまでになっていました。

 

 夫の仕事は土曜・日曜出勤や泊まり勤務も多く、娘たち二人が小さいころは転勤もあって、私は何でも話せる友人ができず、ひとり長い間悩み続けました。娘たちは、酒からくる夫婦の争いを見て「お父さん大嫌い」「お母さん大嫌い」と言うようになっていきました。
 ところが、大人になった娘二人は一昨年(2010年)、どこで調べたのか「アルコール依存症」という病気を知り、「もう我慢ができない。お父さんの酒をやめさせよう」と決めました。私は娘たちにいくら感謝しても感謝しきれませんでした。

 

 夫は激しく抵抗しましたが、いろいろなやり取りがあって、最後は断酒を始めたうえに、井之頭病院への入院を決意してくれました。一滴の酒も一生飲まないと覚悟するのに、どれだけの気力が必要だったことでしょう。

 しかも、退院してきて驚いたことに、夫は入院中の作業療法時間中に無器用な手で、イニシャルを入れた私のための湯呑み茶碗を造っていたのです。
 ある日、私が疲れて寝坊していたら、その湯呑み茶碗に緑茶を入れた夫がニッコリ笑って、枕元に立っていたではありませんか。それは次の日もその次の日も続きました。何という幸せでしょう――。

 

 また、遠くの例会に参加した帰りには、私の好きな飲み物やチョコレートなど、ずっしり重い荷物を提げてきてくれます。一日を仕事と会社に捧げ尽くすという生活の時とは、二人の気持ちは天と地ほどの違いと言って良いでしょう。

 

 夫が断酒会に出かけたあと、一人残されていて寂しいのと帰宅するまで心配なので、しばらくして一緒に参加するようになりました。そこではお酒で失敗したことを率直に話される方や、長い断酒のキャリアを持たれて自信に満ちた方など、いろいろなタイプの方がいらっしゃいました。

 

 初めて参加した「行事」も思い出深いものになりました。一昨年暮れの「酒なし忘年会」では、「赤鼻のトナカイ」と「歓喜の歌」の替え歌を歌いました。私はF夫人の隣りで、親しくお話もできました。練習の時はキョロキョロしていた夫も、本番の舞台では無邪気そのものといった感じでした。
 初めての新年会も、お弁当やトン汁もおいしく、お箸で豆をつまんでリレーするゲームやビンゴで、子供に返ったような楽しい気分を味わいました。

 

 先輩(といっても多くの皆さまは私たちより若い)がおっしゃることを聞くと「あ~、私たち夫婦ももっと若いうちに断酒会を知っていたら――」と、うらやましく思います。
 それでも、真面目に断酒会に参加しているうちに、1年目の本部例会では1枚目の表彰状を、夫婦でいただきました。とても感激しました。

 

 まだ2年がたちませんが、これからも夫と二人で参加し、皆さまの人生から学んで、新生の道を歩み続けたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。

(この文章は『こぶし』平成24年10月号に掲載されました)

©️ AZUMA, Hideo  2013

©️ NPO法人 練馬断酒会