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家族体験記 ①
M.F
『断酒会に繋がり41年』
会員

 主人はアルコール依存症になって断酒会に繋がり、今年の4月で41年を迎える。
 二人で例会に出席して、私も家族としての役割を学ぶことができた。

 主人から聞いた酒を止められなかった理由が二つある。養子に入った祖父に当たる人が、酷い酒飲みであった為に、「自分は三代目のアル中だ」とよく言っていた。また、自分の酒が悪いのは分かっていても、どうしても一人では止められなかったそうである。この二つの理由を聞いた時、私は少しでも主人に協力しようと思った。そして家族会にたくさん出席して家族の勉強をしようと思った。(そんな生易しい問題ではないことを後で知ったが)

 41年間は長いようで短かった。辛いこともあったが、楽しいことも沢山あった。最近は会の出席は少ないが、大きな病気もせず、断酒継続をした主人はよくやったと思う。口で云うのは易しいが、厳しい努力の賜物である。
 その間、娘の死、息子の交通事故等、いろいろな事が続いた。

 今から20年前の事である。
 不幸なことが続いた。45歳になった娘が女の子二人を残し、肝臓の病から多臓器不全でこの世を去った。
 悲しみで、どうして良いか分からない状態で、半年を過ぎた頃、三歳下の息子が交通事故で病院に運ばれたと警察から連絡が入った。
 大雨で濃い霧の夜、車で御殿場の高速道を走っていた際に前が見えず、ガードレールにぶつかった。救急車で近くの病院に緊急搬送された。肺に肋骨が何本も突き刺さり、右半身を何ヵ所も骨折したが、幸いにもエアーバックに助けられ、頭を打たずに、命も救われた。
 翌日、病院で酸素吸入器を付け、死んでしまったかのように眠る息子を見て、息子もこのまま死んでしまうのではないかと思い、悲しみで涙がとめどなく溢れ、胸が張り裂けそうになった。
 土日は息子の妻が付き添い、私は平日を付き添うことにした。
 一ヶ月を過ぎた頃、酸素吸入器が外された。再び痛みに襲われた息子は、大きな声を出し、ひどく暴れた。その姿を見て、「息子は生きている」と確信ができ、ほっと胸を撫で下ろした。
 息子は、アパレル関係の仕事を妻と一緒に営んでいたが、当時会社の経営は思わしくなかった。代表の息子が入院中に院内感染にかかり、2年近く仕事ができなかった。そのため、銀行から借りた返済金が思うように返せず、やむを得ず、倒産となった。
 都心の中でも住宅街の静かな所に苦労して建てた家、手放すことになった時の主人の落胆は大きかったが、私は、必死で努めている息子たちの為に「生前贈与と思えばいい」と主人を励ました。
 思いがけないことが重なり、買い物に出ても、人に会うのが辛く、外が暗くなってから出るような生活が、3年間続いた。

 娘が亡くなった年の8月から、友達に誘われて、私は短歌教室に通い始めた。その当時はどのような本を読んでも頭に入らず、唯一、短歌の「三十一文字」を指を折りながら作ることができた。娘の一周忌、三回忌等、数多くの短歌を娘を偲んで詠むことができた。
 それ以来、自分なりの短歌を心の友とし、20年目になる。
 現在、私共の家族はそれぞれ別々に暮らしているが、娘の二人の子は結婚し、長女は三人、次女は二人の子供をもうけ、ひ孫が五人になった。孫たちが小さい頃、私の家に来て、息子の子と三人で歌ったりお喋りしたりしたテープを今でも残している。それを聴いては、懐かしさに浸り、聴いているうちに笑ったり泣いたりしている。

 私はここ5年の間に6回の入院をした。パーキンソン病、背骨の圧迫骨折等、どちらも不治の病であり、昨年6月にやっと退院した。

 主人は難病の私のために朝食を用意し、洗濯、買い物と毎日家事をやってくれる。7月に92歳になるが、この歳になれば、きっと体を動かすのは辛いと思う。
 5年前まで主人は、家でただ座って本を読むのが日課であった。家事と言えば、布団干しとゴミ出しをやってくれるだけだった。
 私が入院している時には自転車で洗濯物を運んでくれたりもした。一人で何を食べていたか、食事の事を考えるととても心配だった。
 私が退院してからはヘルパーさんが作ってくれるので助かっている。

 最後の退院から、間もなく一年になるが、パーキンソン病は変な病気で、以前、入梅で雨が降りだしたら急に歩けなくなった事がある。今でも天気が悪かったり、寒かったりすると、歩行器でも家の中で歩けなくなる事がある。
 主人は、元々口が悪いが、ストレスが溜まったりするととても怒りっぽくなり、私を悲しませる。朝、歩けないと手引きをしてもらうが、1日に1~2回なのに「何でいつまで歩けないのか、怠け者」と言ったりする。自分で歩きたくても出来ないからお願いしているのだ。私もなるべく主人の手を煩わせないように気を使っている。結婚して65年になるが、今は言いたい事も我慢して、私が私でなくなってしまった。
 私のことで大変なのは分かるが、せめてもう少し優しい言い方をして欲しい。

 断酒会でも決して付き合いの良い主人ではないが、皆さんに支えられて、ここまで健康で会員としてやってこられた。断酒会に入会して本当に良かったと思っている。例会の中で「酒をやめる覚悟と、努力をすること」を学ばせて頂いた。

 今は思うように外出もできない私だが、練馬や白菊の仲間が心配して電話を掛けてきてくれたり、時には訪ねて来てくれる。昔のコーラスの仲間や短歌の友達もいる。有り難いことである。これからも口は悪いが、本当は優しい主人と仲良くやっていきたい。

 皆さま、本当にありがとうございました。何もできないで申し訳ありません。

(この文章は『こぶし』平成29年4月号に掲載されました)

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