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本人体験記 ⑥
C.M
『階段を上る新たな一歩』
会員

 昨年、銀杏並木に代わって、気の早いクリスマスツリーが街を彩り始める頃、引越しをした。

 

 行先はそれまでのマンションの一つ階上の部屋。仕事や環境といった現実的な因子が、その時々によって複雑に絡み合って織なされるのが日常生活であるのだが、それらの条件が本人の意とせぬ処でピタリと一致した瞬間にチャンスはやって来る。階上の一部屋が空いた事を知るや、決断は即日、ローンを組んで契約・引越しまで一ヶ月という、あっと言う間の出来事に本人が一番驚いている。
 十余年の生活で蓄積された物を取捨選択し、慌ただしく詰め込まれた段ボールの山や家財道具一式が新居へと運び出されて、ガランとした部屋に一人残された。日に焼けた壁紙や生活の中で傷を付けてしまったフローリングの床を見渡し、おもむろにベランダに出てみる。ここかから眺める景色が好きであった。
 遠くに連なる山並みに朝の英気を貰い、夜には、温かみを感じさせる人家の灯りが、ささやかな充実感で心を満たしてくれた。「今日が最後だ」という思いで晩秋の空を見上げると同時に、「ここから始まったんだ」という別の思いが胸を突く。

 ここから全てが始まった。三十半ばを迎えようとしていた私は、親元を離れ、「自立」という旗を掲げて、独身貴族を気取った生活をスタートさせた。しかし、意気揚々とした気分はそう長くは続かなかった。きっかけはつまらぬ些事だったと思う。よく言えば平穏だが、刺激や新鮮さをなくした日々の生活に退屈していた。また、協調性の欠如によって、会社での人間関係に歪みが生じた頃でもあった。そして何よりも、親の関心や干渉から解放され、手に入れた気ままな筈の一人暮らしに戸惑ってしまったのだ。会社から帰り、たっぷりと残された孤独な時間を埋めるには、お酒が最も手っ取り早く、快適な話し相手になってくれた。上手く飲めていた頃に味わった「ほろ酔い」が訪れる間もなく、泥酔の沼にどっぷり浸かった夜を過ごし、その罪悪感から逃れるための朝酒・昼酒が始まった。

 「依存症」という言葉が頭を掠め、止めなければと思いつつも、家路を急ぐ足が向かう先は近くの酒屋。焦燥感や挫折感の重圧に耐えきれず、アルコールで思考を麻痺させることで現実から目を背けようとしていた。目覚めた時、空瓶や空缶と同じようにして、床に横たわり、飲みかけのグラスを見上げる自分自身の情けない姿に涙した。
 支離滅裂になっていく言動に家族や周囲の者が気づかぬ筈もなく、わずか一年もせずして落城した果てに、私は精神病院の中庭のベンチにぼんやりと腰かけていた。ここで初めて、「断酒」という言葉を知り、今後生きていくためには、それが大前提であることを教わった。酒浸りで廃人寸前の状態からは救われたものの、今後はアルコール依存症を背負って生きていかねばならないという現実を突き付けられ、一年で最も生命力に溢れ、美しく輝く五月の空や新緑の木々さえもが恨めしく思える程の絶望の淵にいた。

 それでも三ヵ月の入院で心身ともにクリアになったお蔭で、生かされた命の重みを感じられるようになった。生きる喜びを体現する断酒会の先輩方に導かれ、断酒生活が軌道に乗った4年目に、会で巡り合ったパートナーと共に、再びこの部屋に戻り、新たな生活を始めることとなった。本人同士が一緒になる事に対しては、当初、両親も懸念していた様だが、私にとっては逆に「飲めない環境」を築くには最も有効であった。何より、向き合うだけではなく、同じ方向を向いて歩いて行く相手がいることで、不安や孤独に苛まれることなく、今日まで歩いてこれたのだ。

 

 「ありがとう」と呟き、空部屋のドアを閉めた。二人で過ごしてきた思い出と共に、一番辛かった時の残像も持って上がろう。決して忘れてはならない。あの体験があるからこそ、お酒が止まっている「今」がどれほど貴重なものであるかが実感できるのだから。
 趣味の一つである登山で言えば、現在は登り始めの一番きつい急坂を乗り越え、稜線の緩やかな尾根を歩いるのであろう。岩間に咲く花に目を留めたり、景色を楽しむ余裕も出てきた。だが、一見、平坦そうに見えても、多小のアップダウンはあり、浮石に足を取られて、ヒヤリとすることもある。だからこそ、慣れに身を任せるのではなく、確実な一歩を踏みしめて歩いていかねばならない。
 十五年かけて、ようやく一つ階上に上がることができた。回り道をしてしまったかもしれないが、お酒を止めて歩いてきた道のりに恥や迷いはない。そして、これからも、新たな出会いや風景に感動できるよう、自分の足元を見極めながら、新しい階段への一歩を踏み出そう。

(この文章は『こぶし』平成28年3月号に掲載されました)

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